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ミュシャ氏のラグナ検証

更新日:2021年12月16日




この絵画作品を見て「知らない」という方はあまり多くないと思う

ご存じないとすればとてもご高齢の方か逆に10代の中高生あたりの年齢層ではないだろうか



(このブログをわざわざご覧下さる諸氏は文化系の方々であると勝手に拝察しております)



今なお近現代の美術史において巨大なランドマークの一柱であり続け

数年に一度は世界のどこかで単独展が開かれているほどの伝説的な名誉芸術家の一人である






今回はこのアルフォンス・ミュシャ氏を恐れ多くもラグナ検証してみたい



ミュシャ氏は1860年7月24日に

現在のチェコ東部モラヴィアのイヴァンチツェという地域で出生した




(南モラヴィアのとある市街地)



アルフォンス氏は母アマーリエ氏と裁判所の官吏だった父オンドジェイ氏の下に生まれ

11歳頃に大都市ブルノで聖歌隊の一員となって聖歌朗唱に勤しみ宗教文化に親しんだ



品格のある家で伝統的な上流階級らしい成育環境に恵まれていたようである



14歳頃には変声期を迎えたせいか声が出しづらくなってしまい聖歌隊から脱退している

それと同時に早くも絵の才能が現れ始め13歳の時点で第3者に公表した作品を描いていた

(ある聖歌隊の演奏した楽曲集を製本化した際の表紙絵を担当したそうである)



その後15歳を過ぎると誰からも教わらず独自のデッサン練習を習慣にするようになり

創作活動とまではいかないが下書きである素描を繰り返していた



18歳でチェコの首都プラハの美術アカデミーに入学すべく試験を受けるも不合格に終わり

以後はウィーンで演劇や歌劇の舞台装置を製作する工房で下働きしつつ美術の夜学に通う



アルフォンス氏にとって人生最初の不幸は20歳の頃に訪れた

母アマーリエ氏と異母姉のアントニエが亡くなったのである



こうした若年期の来歴を正しく反映したラーシ・チャートは

恐らく以下のようになると判断した





ラーシとナヴァムシャで月と金星がヴァルゴッタマになって星座交換する希少な配置である



1室8室対10室の星座交換が女性の惑星同士で起こり「文化的才能による大成と功績」を示す

ラグナロードの金星が3室(手工芸・描画)支配の高揚した木星とコンジャンクションし

強烈な吉星同士の絡みが10室でも起こり太陽やケートゥが絡んで慎み深い正統な威厳を担う



金星は音楽と芸術の表示体でありナヴァムシャでもラグナロードになるのは偶然ではない



アルフォンス氏が家柄的に高位階の出身であるのは

2室(家族・家財)支配の火星が4室(生家)で高揚し

対向10室で同じく高揚したマハープルシャの木星や11室支配の太陽がアスペクトするためだ



その太陽と木星は生来的な表示体の定義として「父親」の象意を持っている



太陽を父親の表示体と見なす場合は「法律」の表示体である木星が影響していると読める


逆に木星を太陽のように見なした時もケートゥが太陽とコンジャンクションすることで

「文字・メディア」の象意がある太陽にケートゥが法律のような象意で働きかけるようで

「物事を細分化し意味や価値を与える」といった抽象化・専門性の効果をケートゥが発揮して

おそらくは父オンドジェイ氏の職業である裁判所直属の要員としての立場を指示している



一方で4室に住む火星は2室7室を支配して高威力なマラカになってしまう



その火星が母親のラグナである4室で高揚し

医療占星術で「腫瘍」の象意があるラーフに傷つけられている


また年上の兄弟(兄・姉)は11室(とその支配星)で表意されるが

支配星の太陽が火星と対向し12室の表示体であるケートゥに傷つけられている



氏のラーシ・チャートを天秤座ラグナとした根拠はこの相関からである



アルフォンス氏の月のナクシャトラは火星が支配するチトラーで火星期から人生が始まる

20歳頃にはラーフ期最終盤の「ラーフ-火星期」であることを仮の根拠とすると

天秤座がラーシ・チャートのラグナとなった場合に見事に整合が見受けられる



更にラーシを天秤座ラグナと見なした別の根拠は氏の大器晩成的な人生の経歴である



アルフォンス氏の画業や創作活動の大成は40歳を過ぎた時期から顕著になる



1900年開催のパリ万国博覧会において

ボスニアヘルツェゴビナ代表団の展示棟の装飾デザインを担当し銀賞の評価を得たのである




(1900年パリ万博概況写真)




↑アルフォンス氏の製作した装飾と壁面絵画図像↓


(当時の作品を撮影しチェコ本国で正式な記録本としたものの一部/個人様サイトより借用)



こうした功績が足がかりとなりアルフォンス氏への評価が本格化していったようである

翌1901年にレジオンドヌール勲章を賜り

同年にはチェコの科学芸術アカデミーの美術部門会員に選出された



また1903年には教鞭を執っていたパリのアカデミーコロラッシ在籍の女学生と懇意になる

後の妻となるマルシュカ・ヒティロヴァーである






こうした経験とその来歴は

ラーシ・チャートを天秤座ラグナとしナヴァムシャ・チャートを牡牛座ラグナとした場合に

ほぼ確実な整合が見られる結果だった






土星は「評価・称号」の11室に在りその獅子座がラグナになると7室へアスペクトバックする

だから氏はマハーダシャーが土星期になった1900年以降に公私で大成できたのである





結婚運の要約であるナヴァムシャのラグナには土星が住んで7室には8室支配の木星が住む

8室は結婚後の生活を指し木星は11室も支配して創作者であるアルフォンス氏を讃えている



一見してラグナに住むヨーガ・カーラカの土星は教師としてのアルフォンス氏を指示し

マルシュカ氏を指す対向の木星は牡牛座ラグナで8室を支配する生徒(弟子)の表示体である

そのため9室の土星(熟達者/老師)と8室の木星(探求者/徒弟)の絡みとなり

夫婦というより本来の講師と受講生の関係になっている



ジョーティッシュの大家セシャドリ・アイヤーの定義では

「ある分割図のラグナに住んだ星のマハーダシャーにおいてその分割図の象意が実現する」

とされるがナヴァムシャというのは恋愛と結婚の分割図でもある





マルシュカと出会ったのは土星期がセカンドアンタルダシャーに当たる「土星-水星期」だ

その後「土星-金星-木星期」終盤の1906年6月10日に結婚式を挙げている



土星をラグナとするとラーシでは金星がダシャーロードの土星から12室目に住んでしまうが

金星はディスポジターの月と星座交換することで本来のラグナに住むかのように振舞う

ラグナとは7室から見た7室目結婚の経験を意味しうるハウスである



ダシャーロードから見てアンタルダシャーが12室目に住む時期になぜ結婚できたかといえば

2人は故郷から離れたパリという外国(12室)で出会ったからだとも言える

(ちなみにマルシュカもチェコ出身で純粋なチェコ人のようである)



またプラティアンタルダシャーの木星もナヴァムシャで土星と対向したり

ラーシでアンタルダシャーの金星とコンジャンクションして強い影響を受けている

(なおナヴァムシャでは金星と月の星座交換が重複するが

結婚の表示体である金星は定座のように強くなって7室支配の火星と対向しており

その金星はナヴァムシャのラグナロードである)




何 故 ア ル フ ォ ン ス 氏 は 晩 婚 だ っ た の か ?



アルフォンス氏は46歳にしてやっと結婚するとても晩婚の男性だった

やはりラーシチャートでの有意な配置に注意するとそれがよく分かる





ラグナロードの金星は10室蟹座に在住しているが

この金星に絡む星がほとんど生来的にも機能的にも凶星だったりするせいである



蟹座で高揚する良好なハンムサ・ヨーガの木星は3室6室支配で機能的には凶星化している

太陽は11室支配で機能的にも凶星化して悪意が強くケートゥはそもそも凶星である



そしてその10室へアスペクトする火星はマラカとなった高揚の火星なのだからかなりキツい

(この火星自体が7室支配だが対向では生来的機能的凶星がとても旺盛に働いてしまっている)



家の中(4室)がそもそもスパルタど真ん中の厳格な家庭環境だろうし

家の外(10室)でも社会的にかなり高位な権威ある実力者(高揚木星と11室支配の太陽)と関わり

本人の心情そのものは月から見た4室の火星が相当に強く影響するため

気がついた時にはアルフォンス氏にとっての人生は画業の研鑽そのものだったようである



このチャートが正しければ氏は結婚願望などとうに無くなってしまったと言える



やはりそれでも氏が結婚できたのは

ラーシで11室(願望成就)の獅子座に住む土星が獅子座から見た7室目の支配星だからであり

ナヴァムシャでもラグナ(7室から7室目)に土星が住む配置だったからである




息 子 イ ジ ー の 誕 生