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インド仏教を蘇らせた奇跡の日本人─導師・佐々井秀嶺のラグナ検証

更新日:2023年7月30日





ジョーティッシュを通じインドを知っているようで全く無知だった私に

これまた久しぶりに雷が落ちる出会いが起きた





ほとんど1ヶ月前のことになるが

お馴染みの老舗クイズ番組日立 世界ふしぎ発見!

インド特集が組まれていたのを後になり見つけた



放送内容の半分ほどは

現在公開中でアカデミー賞も受賞した超大作インド映画RRRに因んだ映画スタジオ取材で

それとは別に本稿の題材とする人物も取材された







日本からインドに渡って実に55年以上にもなる佐々井秀嶺という僧侶が紹介されていた



かつて本名を「佐々井実」(ささい・みのる)とした佐々井上人は

途方も無い紆余曲折と苦悩の積年を戦い抜いて

今やインド仏教1億5千万人の頂点に立つ本物の大導師である



私はこの混じり気の一切無い超一流のグルを知り

時間の無い中で書籍を購入したり過去のドキュメント映像を見たりして

自己流で出来る限りその人物像の把握に取り組んだ




仏門に入るまでのその生い立ち




( 出家して間もない25歳当時の佐々井秀嶺氏 )




佐々井上人の半生は言うまでもなく並大抵のものではなかった

そのため先ずは氏の仏道入門までの道のりを以下にまとめる

( できれば読了していただきたいが相当に長いので読み飛ばしも可 )



1935年8月30日

旧・福井県阿哲郡菅生村( 現・新見市菅生 )に生まれた秀嶺氏は

中学生になったばかりの頃までは勉学に秀でた賢い少年だったが

14歳で原因不明の熱病のような健康異常を来し

「頭も体も正しく働かなくなって」しまう



その後15歳になってから一度も学校に行くことがないまま

卒業した扱いになっても心身不調で高校進学ができず

一念発起でご両親に上京して東京で自活したい意志を伝え

単身上京しご両親から受けた軍資金を頼りに

新宿区鶴巻町に在った東京正生学院という職業訓練所のような学校に入学する



そこでは吃音症状やノイローゼを生活習慣で矯正したり

街頭演説を実演させて心気症を治す独自のリハビリ療法が行われていて

曰く「極度のあがり症」だった少年時代の秀嶺氏は

みるみる自信を取り戻し

身も心も年齢相応の健全さを改めて会得するに至った



東京で知り合った友人らのツテで定職に就いたりしたが

18歳で帰郷を決意し岡山に戻ると

実父に頼み込み土地と建物を借りて炭や生薬を扱う薬草院を開店した



また

偶然にも事業を起こしたその店のすぐそばに下宿してきた女子高生と懇意になり

ほとんど結婚を約束し合うほどの恋仲になるも

小学生の頃から「女の身体に興味があり過ぎたのだ」と本人も認めるほど好色だった氏は

東京時代に度々に花街へ通っていた過去や

父方の家が大変な旧家で妾を複数人も囲っていた “ 女難の血統 ” だったことを自覚し

将来に漠然と気後れを感じ始めていた



(事実その実父は秀嶺氏から見た祖父の正嫡ではなく妾の子だった)



そして偶然に用事があって訪ねた未亡人宅で

実父がその女性と不倫しかけていた場面に出くわし

驚くと同時に自分の身体に流れる「色情因縁の血」に絶望し

そのまま仕事を投げ出し

異郷の地の青森まで電車を乗り継いで

北海道に向かう連絡船の舳先から入水自殺しかけて失敗した

( 甲板を歩いていた客船用務員に見つかり引き留められた挙句に何度も殴られたそうだ )



失意のどん底から帰路を進むも郷里に戻ることは当然できなかった



かつてのように再び東京に落ち着くと

糊口をしのぐだけの職探しをしたが長続きせず

完全なホームレス状態にまで陥って

献血で血を売って生活費を稼ぐ等する困窮ぶりで

最後はうらぶれ者たちで作る窃盗団に加わって万引きで逮捕されたりした



そんな生活を23歳頃まで続けてやっと岡山に帰って来ると

案の定やはり実父が不倫を重ねていたことで生家は崩壊し

稼業だった薬草院もとっくに閉業( 廃業 )となって

許嫁だった女性にも別れを告げるしかなく

地元町に深い因縁だけが残った生活を受け入れらない秀嶺氏は

叔母が暮らす鳥取県米子までまたも歩を進めた



仕事もせず叔母の家に居候して虚しい日々を酒でごまかして過ごし

昼となく夜となく酔っぱらって家の外で警官に拾われては叔母の家に帰り

その翌日から同じことを繰り返す生活が続くばかりだった



心の底から救いが欲しくてたまらなかった23歳の青年は

ヘベレケなまま本屋に入ると東西の様々な哲学書などを買い上げて

「これできっと楽になれる」とその時だけ満足し

家の中には読まれない本が山積みになっていた



子供というには年を取り過ぎた秀嶺氏の我が儘にも全く機嫌を損ねない温厚な叔母は

優れた処世術で巧みに近隣の教育関係者や学校長の知人に “ 根回し ” し

何とも見事に秀嶺氏をその地域の高校へと特別に入学させたほどだった



しかし社会人1年生くらいの年齢の者が

16歳になるかどうかの「お子様だらけ」の環境で

自由に学びを楽しむことなどは出来る訳もなく

その高校が甲子園で準優勝したことを祝う凱旋パレードを目にするや

悔しさと惨めさが大粒の涙になって溢れ出し

23歳の高校生は単身で米子から東側の大山( だいせん )へと向かい

再び自殺悲願の本懐を遂げようとした



鳥取県西伯郡大山町に着いたのはいいが

着の身着のままで大山の中腹まで登った時には夜になり

凄まじい寒さにブルブル震えて耐えているうちに朝が来てしまう



清らかな山の朝焼けに湿っぽい諦めがすっかり晴れてしまい

下山してくると今度は京都の比叡山に行ってみたくなり

「徳の高い比叡山の周りならどこかの寺に押しかけても小僧にしてくれるだろう」と

十代の頃に一度だけ誓った出家の志が不意に滲んだ



しかし結果は惨憺たるもので

比叡山に着いてみればそこはどこにでもある観光地のようであり

物見遊山に来た相手を道案内する僧侶の俗っぽい姿が散見され

飛び入りした寺の境内に踏み込んで棟の玄関から奥を覗くと

あろうことか若い僧侶がレコードで歌謡曲を聴いている



諦めきれずに弟子入りを懇願するも

ここで働く坊主なら誰でも大卒なんだから中卒のお前を受け入れる訳にいかない」と

あまりに理不尽な答えを突き返された



ひたすら湧いて来る失意と怒り



それでも鳥取に帰りたくない秀嶺氏は

「山梨の大菩薩峠に行こう」と思い直す



中里介山による同名の小説『大菩薩峠 (小説)』の主人公・机龍之介のセリフを思い出し

「死ぬなら勝手に死ね」と自分が言われているように感じた秀嶺氏は

その言葉を真に受けて山梨県まで数日かけて辿り着き

学生服にゴム靴という出で立ちで身も心もくたびれ切っていた



足裏に血豆を作ったまま疲れと痛みに耐えながら

またも大菩薩嶺の頂上を目指したが

山梨の奥の秘境たる大菩薩峠は本当に命の危険に関わる寒さであり

「俺は孤独だ・・・人間は偽善者だらけだ!もういいんだ!!俺はもう消える!!!」と

力強く叫んで道中の崖先から身を投げようとしたその時だった







「待て

お前はいま死んだんだ

いまのお前は生まれ変わったお前だ

もう過去は無い

大菩薩峠がお前の生まれた場所だ

だから過去はもう振り返るな

将来に向かって進め」




深い闇の中から突然にハッキリと声が聞こえ

普通の人間相手に会話するようにして秀嶺氏はその声とやり取りした



比叡山の時と同じように鮮やかな夜明けを迎え

その声の主が妙見菩薩だったのではないかと思いながら

秀嶺氏はいよいよ気力体力の限界に差し掛かっていた



下山がまだまだ終わっていないまま林道の向こうに寺らしい建物の屋根が見えた

そこで秀嶺氏は行き倒れてしまった



行きずりの参拝者に助けられて運び込まれた先は真言宗・大善寺だった





当時の住職だった井上秀祐和尚に

「君は宗教というのをやるか?やるならここに置いてあげるよ」と呼びかけられ

飛び上がって喜んだのはよかったが

その当時でも檀家を持たず葡萄園の運営と寄進だけで生計を立てていた大善寺は

本当なら見習い坊主をかばう余裕など無かった



やっと僧侶の修行を始められて1年ほどを経ると

井上和尚から「もっと立派な寺で修業を続けて得度しなさい」と促され

東京・八王子の高尾山薬王院に転籍する橋渡しを請け負ってくれることとなった







先々代貫主・山本秀順



25歳にしてついに叶った得度の礼



法名を授かった1960年8月8日に青年・佐々井実は僧侶「佐々井秀嶺」となったのである



こうして今現在へとつながる上人・佐々井秀嶺の歩む仏道の長い長い道が開かれた




秀嶺氏はどのようにして僧侶になり得たか




(この章の中頃でラグナ検証に入ります)



薬王院で5年ほど修行に励んだ秀嶺氏だが

寺でのお勤めとはほとんど下働きのようで用務員同然の雑務ばかりだった



薬王院に最初から入山してきた若い小僧の面々にはそれが当たり前であっても

井上和尚の許で滝行をさせてもらったりした秀嶺氏はすでに物足りなかったらしい



座る暇もないほどの右往左往の実務が終わった夜更けには

若い僧侶ほど疲れ切って寝入ってしまうにもかかわらず

秀嶺氏は「このままでは腐るだけだ」と強い念慮で克己し

夜中に外の山で座禅し大声で読経する自主的な荒行を続けていた





すると

真夜中にやかましく読経を挙げているのが居て眠れない」と

老僧らが苦情を入れてきたのである



秀嶺氏を庇ってくれる下積み中の若輩僧侶と先輩筋が争うのを見て

やむを得ず秀嶺氏は寺近くの洞穴の中で読経するようになった



ところが湿った洞穴の壁面にはヒルがうじゃうじゃと潜んでいて

秀嶺氏はヒルに身体中を噛まれながら必死の形相で独り勤行し続けた



それを又聞きした貫主の山本大僧正が秀嶺氏を呼び出し

一途すぎる不器用さに感じ入って涙しながら

「お前は何をしているんだ」と懇ろに説得したという



結局は高尾山薬王院ほどの歴史ある古刹であっても

周囲は山本貫主が「職業坊主」と陰でそう呼ぶ手合いばかりで

身を滅ぼさんばかりの覚悟で自らをいじめ抜く秀嶺氏に

山本大僧正は渡りに船と言える大抜擢の提案を与えた



「仏教先進国のタイから特別な留学の誘致が来ているから行きなさい」

という話だった



日本の全宗派の知識を体得し

生臭坊主どもを議論で言い負かす」のを目標としていた秀嶺氏



やはり最初は今この時の目的ではないからと断ったのだが

炎の如き熱気で向上心を更に鍛え続ける秀嶺氏を見るにつけ

「お前くらいしか居ないんだ」と改めて山本貫主から諭されることになり

最後はタイ王国での仏教修学の務めを受け入れる決意を固めた




(世俗と決別し厳しい覚悟を湛えた30歳当時の秀嶺氏)




1965年のことだった




(タイでの修行の様子)




このタイでの修行生活においても

秀嶺氏が来ることを知っていたかのように

異国情緒タップリな艶めかしい美人が誘惑してきたという



これほどまでに秀嶺氏を襲ってくるカルマ的な因縁が絶えず

仏道に捧げるべき決意を腐らせようとする出来事は

1967年8月に永住の地となるインドに渡るまで続いたのである



30歳を過ぎるまでのこうした波乱に富んだ上人・佐々井秀嶺の人生を

正しく写実できているラグナは果たしてどの星座だろうか











秀嶺氏が人生で最初のカルマ的な苦境にぶつかったのは

やはり14歳頃に経験した原因不明の病気だと言える







上記のダシャーの時期は

シャスタムシャでマラカの土星と金星が月と太陽を傷つけていて

9室支配で吉星の太陽は1室や10室の表示体で月は精神状態を指し示すため

2室3室支配で逆行の土星や

やはり逆行した6室11室支配で強いマラカの金星がコンジャンクトした配置は

太陽が担う肉体と9室の意味する知性が蝕まれたり

月が支配する8室が「不可解な疾病」の象意を具現化している



(なおよく見ると月とコンジャンクトした6室11室支配の金星は

7室10室支配で機能的凶星の水星と星座交換し

かなり劣悪な凶星同士の絡みに巻き込まれている)





若い頃ほど影響の強いラーシでも

「月-金星期」や「月-太陽期」は6室で全てが完結し

5室支配で知能や精神性を指す月を

6室支配で定座の太陽とマラカの金星が損なって

対向12室で定座してヴァルゴッタマの極悪な土星が秀嶺氏の生命を抑圧していた





ナヴァムシャは月に対する配置が相当に致命的で

2室対7室でマラカの星座交換に月が巻き込まれてラーフが2室の象意を悪変させている



太陽のディスポジターは月だったため

絡みの起こらない配置であっても月が受ける2室対7室の絡みや

月ラグナから見てラグナ対6室の絡みになる星座交換の影響を受ける





中学校に通えない病苦に耐えて1年ほど経つ頃に火星期が始まり

中学卒業の折りにアンタルダシャーがラーフ期となって火星期が本格化する





病から解放された秀嶺氏はご両親に懇願して上京を果たした頃で

7室( 知らない土地 / 異郷 )からアスペクトバックするラグナロードの火星が

「家族・両親」を意味する2室にもアスペクトし

2室は星座交換で火星とも深く関わるため

氏本人が家族に強く働きかけて東京への移住を承諾させた経験を示している



このナヴァムシャは

7室でグル・マンガラ・ヨーガが起こって一見とても活動的だが

4室で逆行しながらヴァルゴッタマの土星が牡羊座と蠍座の両方にアスペクトし

土星自体も逆行して生来的凶意が強いまま4室でマハープルシャ・ヨーガになり

やはり秀嶺氏が幼少期の自分を「極度のあがり症」と回顧する事実と整合する







そして

氏が17歳になる年の4月からの約1年は「火星-木星期」で

2室5室支配で純粋な吉星の木星がラグナロードとコンジャンクトし

それら2惑星が7室でラグナ対7室や5室対7室のラージャ・ヨーガでもあったため

東京正生学院で心気症予備軍のリハビリが功を奏した時期だったようだ





しかしながら

せっかく秀嶺氏が成し遂げた人間的成長は

帰郷してすぐ父親の犯した不貞( 不倫 )で強く損なわせられた



ラーシではやはり土星が2室牡羊座と9室蠍座をアスペクトで傷つけ

土星は逆行してまた定座した山羊座から8室天秤座にアスペクトし

即ち秀嶺氏の父を指す火星が機能的凶星の逆行土星から悪意を受けるため

分かっていながら平然と未亡人の女性と通じていたのである



このラーシで蠍座を父親のラグナとすると

ラグナロードの火星が12室に住んでしまい

ディスポジターの金星が10室獅子座に住んで土星と対向し

ラグナロードの火星も天秤座から牡牛座にアスペクトしており

異性との関係を意味する7室や金星が強く傷つけられている



蠍座から見た10室獅子座はとても強い吉意が実った配置であるのに対し

水瓶座でヴァルゴッタマの逆行土星が3室4室支配で凶星化して

逆行した位置からのアスペクトで火星と木星を傷つけたり

土星と対向した金星もまた逆行することで土星と二重に相対するようになり

機能的吉星の木星やラグナロードの火星が12室に住むために吉意が働かず

結果的に父親が道義道徳を踏み外すことになったのである





その衝撃に呆然自失となった秀嶺氏は

全てを投げ出して自死するべく放浪の旅に出るが

ナヴァムシャで火星と絡んだ土星は

4室で定座しながらも3室に逆行してまた定座し

つまり4室を失う家出のような経験を指していて

ラグナロードの火星も7室に住むことで「宛もなく彷徨う」経験を意味していた



( なおナヴァムシャで2室に住んだ月は

「父親」の9室を支配して火星に傷つけられ

なおかつ木星と金星とラーフが強く絡む星座交換に巻き込まれるため

ラーフがもたらす背徳的な行為に木星金星の強い快楽が絡んで「不倫」を促していた )



この火星土星の絡んだ時運は月から見て3室と6室の関わりとなり

青森から北海道へ向かう連絡船から入水自殺を試みて失敗したり

その後に東京へ出戻ってホームレスをしながら万引き等で飢えをしのいだ経験も意味する





また

「火星-土星期」は秀嶺氏が東京から帰郷して薬膳の品々を扱う薬草院を開業した頃で

ダシャムシャでは火星土星が4室で二重にダーナ・ヨーガを帯びてはいても

火星が9室を支配したり土星が12室を支配したりして10室にアスペクトしてしまい

10室はまさに10室の表示体の太陽が住みながらも6室支配で7室を失うため

結果的に何も成果が残らなかったようである





その後は叔母の住む鳥取県米子で1年強の引きこもりと酒乱の日々を送る時運だが

すでにダシャーはラーフ期が始まっていて

ラーシでもナヴァムシャでもラーフのディスポジターがラグナロードと関わる変動期である





ナヴァムシャの3室に住んだ8室11室支配で凶星の水星には

7室で星座交換した強い木星がアスペクトして吉意の保護を与えている



3室というハウスは「近所の友人」や「親戚」という象意を持ち

水星にはそもそも「叔父・叔母( 伯父・伯母 )」の象意がある



※ソース※



山羊座は女性星座であり8室を支配して3室に住むため

23歳で無職のまま居候してきた秀嶺氏を根気強く庇ってくれた叔母は

間違いなくこの水星がその表示体になっていると判断できる



土星が逆行してコンジャンクトしてしまっても強い木星がアスペクトしており

秀嶺氏を束縛したり抑圧するというような働き方にならないのである



なお

すでにこの時にはダシャーがラーフ期でディスポジターの木星がラグナになるが

木星にコンジャンクトした火星はそれまで続いたマハーダシャーであり

ダシャーチッドラで火星期の影響が残ることも含めて

牡牛座から見た8室の射手座が牡牛座と星座交換する所見でも当時の経験が説明できる





その叔母の導きによって23歳で高校入学を果たすも

無為な人生を送ってきたことの悔しさに耐え切れず

叔母の善意も裏切って死に場所を求める放浪を始めてしまう





その当時はすでにラーフ期であり

ディスポジターでラグナロードの木星はやはりとても配置が悪く

10室も支配して「中断」の8室に住んでおり

コンジャンクトした火星も9室支配で8室に住みその吉意を失う不幸な所見で

火星自体が9室支配のために木星の10室的な経験を途絶えたままにさせてしまう



のみならず8室天秤座には土星が11室から仮想アスペクトを与えていて

8室と12室の象意がラグナや10室の良い可能性を根本から損なわせている



本当に人生が思い通りならず悔しさと諦めで心が満ちてしまう頃だが

土星の逆行した位置へアスペクトする火星は9室支配であり

つまり12室と9室の絡みが相互アスペクトで成立する所見でもある



それらの絡みに含まれるラグナロードの木星は

8室の持つ「徹底した物事の追求」という象意を実際の行為で体現することになる



だから秀嶺氏自身はこの時こそ何の自覚も持てずとも

世俗に背を向けた厭離( おんり )の情念を育てて行き

命を捨てる覚悟で行き倒れた結果

真言宗智山派・大善寺の井上秀祐和尚に弟子入りすることとなったのである





気になるのはやはり大菩薩峠で夜更けに体験した幻聴のような「天の声との対話」で

ナヴァムシャの3室に住んだ水星に土星が逆行して定座する配置からそれが想像できる



水星はケートゥのディスポジターで8室に住むケートゥは「心霊現象」の配置でもある

ケートゥやそのディスポジターに対し逆行して凶意の強まった土星が絡むことが重要だ



実はラーフ期というのは対になったケートゥ期の経験も併せて具現化するとされ

ナヴァムシャで水星にアスペクトする木星はラーフのディスポジターであり

つまり水星は木星とトリコーナの位置関係なので

しっかりとラーフ・ケートゥ軸が絡んでいる





ダシャーを振り返ると

「ラーフ-ラーフ-火星期」には薬王院で得度式を迎える3ヶ月ほど前になってしまうので

その1年前頃の「ラーフ-ラーフ-ケートゥ期」がまさに上記の神秘体験を遂げた時運だろう





そしてラーフ期が本格化するアンタル木星期にはいよいよ得度を迎え

僧侶としての人生が開かれた



ダシャムシャではラーフのディスポジターの水星に木星がコンジャンクトする



なおかつ木星はそのままラーフにアスペクトして強く絡んでおり

ダシャムシャのラグナがヴァルゴッタマで相当に強い影響力が働く



「訓練・実践・努力」の3室に10室も支配したラグナロードの木星が住み

木星と絡んだ水星がダシャーロードとして働く時運は

間違いなく人生の門出と言える仏教修行の営みを指している



( 因みにこの当時に秀嶺氏は薬王院の山本貫主の縁故で

大正大学の聴講生として学費も無償で宗教学を習熟する厚遇にありついており

それは木星とラーフと水星の絡みに含まれた月をラグナにすると

水星が「学問」の5室を支配し木星が8室11室支配になるためだ )



「ラーフ-土星期」になると

ダシャムシャは土星が4室から水星に逆行して一方的に絡んでくるが

この配置がおそらくは薬王院で夜中に勤行に励む秀嶺氏のことを迷惑がる老僧らである



土星は11室12室支配で4室から逆行して12室にアスペクトバックしており

7室のラーフとディスポジターの水星の両方にしつこく関わっていて

当時の秀嶺氏から見て「かなり格上だが尊敬し兼ねる相手」の先輩筋を意味する



11室12室の象意が同時に働く矛盾した老齢者( =土星 )で

つまり山本貫主が仰る「職業坊主」の面々であると分かる





しかしそんな悩みが払拭されるように

山本貫主が強く秀嶺氏にタイへの仏教留学を促してきた時運が「ラーフ-水星期」である





改めてダシャムシャを見ると

水星はラーフとディスポジターでラーフとは見事にトリコーナの絡みになり

機能的にも吉星の木星がアスペクトした「7室( 未知の場所 )のラーフ( 海外 )」であり

木星的な学び( ≒仏教 )のための海外遠征であることが分かる





引っ越しや大掛かりな移住の経験を写したチャトルシャムシャでは

4室でその経験が完結する配置で

ラーフが関わりながら4室でディスポジターが定座し高揚するのは

宗教修行が基本的に屋内の「アシュラム」( 道場 )で行われるからだ



秀嶺氏は後にこのタイ留学で「ヴィパッサナー瞑想を実践していた」と述懐しており

やはり高揚の月から見た5室目でこの配置が起こることを説明できている



斯様に学びを深めようとする佐々井秀嶺上人に対し

最後の誘惑とも言える奇妙な困難が依然として待ち受けていたのだった




タイで出会った二人の女性と

インドの大地で聴いた聖竜樹の声







1965年8月8日

意を決して踏んだタイ王国の地

招かれたのは非常に由緒あるワット・パークナムという仏教の殿堂だった



タイでは仏教に対する国民の尊敬がとても厚く

日本とは違って民衆が托鉢する僧侶に沢山の供物( 寄進 )をくれるほどである





すでに記したように

ナヴァムシャでラーフとそのディスポジターは星座交換で強力に絡んでいるだけでなく

ラーフのディスポジターの木星は水星にアスペクトして機能的吉意を恵んでいる



この配置からも

秀嶺氏が意気高く覚悟していた厳しい修行というほどの実践は少なかったようで

8室11室支配で凶星だったはずの水星がかなり強い木星からアスペクトされることで

8室的な「棚から牡丹餅」ばかりを与えてくる誘惑の表示体のようにも働いてしまう



やはり実地での研修の毎日は静かに勉強したり瞑想をするばかりで

大きな宿坊においては仏教の戒律たる「飲酒・肉食・異性交遊を避ける」以外に規則がなく

音楽を聴いて過ごす僧などが居て仏教文献の精読ができない時間もあり

暇を持て余す中で酒の代わりにコカ・コーラばかり飲んで過ごし

秀嶺氏は太ってしまったりもしたという



拍子抜けして腑抜け気味のそんな秀嶺氏に対し

またしても危うい局難が迫ってきた



寄進してくれる美女が明らかに秀嶺氏を意識していたのである



当時のタイ国内で専売公社の職員をしていた30代前半くらいの妖艶な美女



手持無沙汰の秀嶺氏は

ついつい「ここは国外だしバレないかな」と生来の助平心が疼き

なかなかグラマーで艶っぽい美女と仲良くなってしまう



その彼女( 秀嶺氏は実際に「グラマー」と呼んでいた )は

少女だった頃に太平洋戦争で出征してきた日本兵と恋仲のようになり

秀嶺氏と知り合った当時も日本語が流暢に話せたようで

本人の自宅とは別にジャングルに隠れ家を持っており

真面目さが萎えていた秀嶺氏はすっかり誘惑になびくようになり

周囲の僧侶らが顰蹙するのも無視してその隠れ家に通うようになってしまう




誰がどう見ても

することをしに行っている ”と

誤解されるに決まっている




しかし流石に秀嶺氏も山本貫主の顔が思い浮かばれて秘め事には及ばなかった



湿気がすさまじいこと以外は快適なジャングルの隠れ家で

秀嶺氏はジックリと読書することが出来てそれなりに有意義だったのはいいが

「グラマー」は少しでも長く氏と一緒に過ごしたいために

夕方になって氏が宿坊へ帰りたいと伝えても

「まだ帰らなくてもいいではないですか」と誘惑してくる



思春期に好きになったのが日本人だからか

日本の男性には色目を使うようで

太平洋戦争時代の秘話を聴いた秀嶺氏は

「グラマー」の叶わなかった悲恋を知るに及び同情心から涙したという



明らかにそれは2室と7室の星座交換が与えてくる経験である



蠍座ラグナの7室は支配星が金星で関わってくる異性を強く意味するので

それがラーフのディスポジターの木星と最も深く絡む星座交換になる配置は

間違いなく「外国人女性から受ける強い求愛」だと言える



( なおも金星はラグナに逆行し火星と仮想の星座交換になっていて肉欲と性愛を強調する )



外に出向くことが多くなった秀嶺氏は風邪を引いたようで

ある日ふと寝込んでしまう



その時に他の僧侶から世話をするように呼びつけられたのが

中国人を親に持つ華僑系の若い尼僧だった





こちらもやはり日本人にはない異彩を感じる美女だった

( 秀嶺氏曰く「小顔で目が大きく人形のようだった」とか )



熱が引かないうちから

秀嶺氏はまた違う “ 熱病 ” をこじらせてしまった



少し前まで拒まなかった「グラマー」との付き合いがすぐに過去形になり

相手が同じ修行中の立場だという方便も利いて

氏は宿坊の中でこの若い尼僧とお互いに語学の勉強をし合った



この尼僧はすっかり秀嶺氏に思いを寄せるようになって相思相愛となり

まめまめしく食事を料理しては持ってきてくれるようになった




本当に悲運だったのはここからである




いつものように尼僧の彼女が食事を持ち寄って一緒に過ごそうとしていると

何とそこに「グラマー」が長く会えなかったことに耐えられず訪ねて来た



絶体絶命の危機に

秀嶺氏は落ち着いて「語学の勉強をしているだけだ」と弁明した



その後に案の定( というより自業自得 )もちろん「グラマー」に呼ばれた秀嶺氏

ジャングルの隠れ家に着くや否や




拳銃を突きつけられたのである




震え上がって必死に言い訳し

「いつかこの僧衣を脱いでお前と結婚するよ」と嘘を吐いて

小屋から解放されると夜中のジャングルを独り逃げ帰った



つまりナヴァムシャで生じた2室対7室のマラカの星座交換が発現したと言える



ラーフというのは「突然の暴力」を意味するので

それがディスポジターごと2室7室の絡みに含まれるのは

本当に「命に差し障る危険」が降りかかって来る経験になってしまう





あるいは4室でヴァルゴッタマの逆行土星が水星に重なるようになることで

3室4室支配でマラカとしての影響力を発露したのかも知れない



その後に秀嶺氏は

知人でタイに農業研修で来た公費留学団体の要員の男性を自らの変わり身にしてしまう



農業に誠実に取り組んでいたその知人はやはり現地人には優しいため

「グラマー」は秀嶺氏のことを次第に忘れて行き

その彼を新しい婚約相手と見なしたまではよかったのだが・・・




知人男性が「グラマー」と知り合って数日後

「専売公社の女が日本人を拳銃で撃つ」という新聞記事を

秀嶺氏は目にした





改めて確かめるが

ナヴァムシャの水星は「友達」の11室を支配して3室に住み

水星に向かってマラカでヴァルゴッタマの土星が逆行してくる



その知人は一命を取り留めたが

つまり水星に対して機能的吉星の木星がアスペクトしてくるからである



悲劇はそれだけで済まなかった



秀嶺氏と本当に結婚を約束し合って還俗していた尼僧の彼女が

「実家に戻って仕事をしている最中に目が潰れてしまった」というのである



おそらく木星金星の星座交換は2室7室にラーフが絡んで「突然の暴力」( ≒事故 )を意味し

ラーフがディスポジターの木星を経て金星に2室的なマラカの影響力を与えたようだ

( この尼僧の女性は金星だけでなく9室支配の月で表意されていたと考えられる )



また月がラグナになると今度は金星自体が6室11室支配でマラカになり

蠍座へ逆行することで土星のアスペクトを受けてしまう配置である





自分自身も心の目が潰れるほどの後悔と自責

秀嶺氏は己のカルマ的な呪いを強く恐れ悔やんだ



自分の愚かしい未練をやっと自覚し

「このまま日本には帰れないから仏教発祥のインドで反省させてほしい」と

薬王院の山本貫主に手紙を書くも当然ながら大反対を受ける



分かっていたとはいえ貫主の返事通りに帰国する気にはなれなかった



かつて鳥取の叔母を裏切ってしまったように

秀嶺氏は今度もまた恩師の言葉に背き

一路インドへ片道切符を握りしめ歩を踏み出した







タイ留学中に知己を得た日本山妙法寺大僧伽の住職を頼り

1967年8月に秀嶺氏は飛行機でコルカタに舞い降りた



その2週間後にビハール州ラージギルに向かい

いよいよインドに建立された日本山妙法寺の仏格に向かった







そこで出会ったのが3人目の師匠となる八木天摂(やぎ・てんしょう)上人だった





当時は「ラーフ-水星-木星期」だった



ラーフ-ケートゥ自体はナヴァムシャの2室8室軸の経験であり

木星が水星に一方的なアスペクトを与える絡み方で

秀嶺氏が自分からインドに踏み入ってきたことを意味し

やはり「真新しい出会い」を与える時だったと言える



そこで八木上人は後のラージギル仏舎利塔の建立を開始する頃合いだったので

「何でも手伝わせて下さい」と申し出た秀嶺氏に対し

その時から1年間ほど仏舎利塔の基礎工事の作業手伝いを指示した





ダシャムシャは主要ダシャーが3室で絡む時だった



ラグナロードと7室の支配星がやはり「努力・訓練」の3室でコンジャンクトし

当然ながら7室には外国を意味するラーフが住むので

まだまだ秀嶺氏は日本に帰らず

ドシュタナが支配する金星や太陽の経験として無償の労務をこなしていた





ナヴァムシャは月をラグナにするとラグナ対6室の星座交換となり

ラグナロードとマラカの金星の強い絡みで

本来のラグナロードの火星は月から見た5室支配で6室の木星とコンジャンクトし

即ち「相当にキツい肉体労働を誠実に引き受ける」というような経験である





ケートゥのディスポジターの水星に逆行し重なる土星の位置は月の2室目であり

この時期に秀嶺氏は仏道の戒律で肉も食べないまま

40度超の酷暑の重労働に耐え抜いて

タイ滞在時に太った身体をすっかり元通りに出来たほど痩せたという




そしてその2週間後頃に

秀嶺氏が今もなお語り続ける人生最大の神秘体験が起こる




1968年8月6日頃

基礎工事を手伝う日々が過ぎて行き

もうそろそろ日本に帰ってもいいかと思い始め

八木上人にそれを伝えると

「8日は満月がきれいだからよく見える多宝山( 仏塔の建設地 )に泊まりなさい」と

促された



そして迎えた8月8日の真夜中



一緒に泊まった八木上人が静かに寝息を立てる脇で

秀嶺氏は寝付くことが出来ず

独りそっと抜け出して近くの景色を満月が照らす様子に見とれていた



とても美しい黄金浄土の眺めを前に

読経せず目を閉じて瞑想を始めた秀嶺氏







すると不意に背後から強い力で肩を「パーン!」と叩かれて猛烈に驚いた



しかし不思議なことに身体が全く動かせないのである



少しの間ひたすら藻掻いたりしても自由にならず

目を開けて正面を見ると──




そこには

月明りに照らされた真っ白な長髪姿の老人が立っていた




顎鬚と口髭が繋がって長く伸び

眉毛さえも棚引くほどに伸びている

広い額は月の光を受けてツヤツヤと光り輝いていた



動くことが出来ず声を出そうにも本当に喋れない



月明りに立ったまま手に持った錫杖のような棒の突端を

秀嶺氏の肩に強く押し込んで来る



訳が分からず恐ろしい余りに

脂汗を滲ませる秀嶺氏に向かって

その仙人のごとき老翁は日本語でこう語りかけた




我は龍樹なり

汝速やかに南天龍宮城へ行け

南天龍宮城は我が法城なり

我が法城は汝が法城

汝が法城は我が法城

汝速やかに南天龍宮城へ行け

南天鉄塔もまたそこに在らんや




秀嶺氏が

「南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!!」と必死に念じていると

いつの間にか仙人の姿は消えていた





それは1968年8月8日午前2時頃のことであった



ダシャーはおそらくだが

「ラーフ-ケートゥ-太陽-土星-木星-金星期」である





ナヴァムシャでは相当に有意な絡みがあり

ケートゥのディスポジターの水星にアスペクトする木星はラーフのディスポジターで

太陽は水星と相対し土星も逆行して太陽と向かい合い

土星が本来の位置で木星とはケンドラの相関で

木星は金星と星座交換する



タイで「グラマー」に拳銃を突きつけられた時のように

2室対7室の星座交換にラーフが巻き込まれてしまうことで

「命の危険に関わる異常事態」と言える経験が生じ得る



また先に述べたとおりだがラーフ期とはケートゥ期の経験も並行するため

8室のケートゥのディスポジターで3室に住む水星に土星が逆行してくる配置は

大菩薩峠で氏が聴いた「天の声」と同様に一種の心霊現象と言える経験だったらしい

( 土星は8室や12室の表示体で逆行すれば土星が非現実な影響力を持つ )





ラーシの方はラーフと水星の配置自体は絡むが

ラーフのディスポジターの木星は水星の2室目に位置してしまいつつ

8室天秤座から4室双子座のケートゥにアスペクトして部分的に絡み

太陽は水星と絡まないまま土星と対向し

土星は逆行した位置から木星にアスペクトし

金星は本来の位置で12室の土星と対向する



12室で定座したヴァルゴッタマの土星は逆行位置から木星にアスペクトして

本来の位置の12室から対向の6室に住む8室支配の金星とも相互アスペクトし

8室と12室が相互アスペクトで絡むので

おそらく「真夜中( 12室 )に心霊現象( 8室 )に遭遇する」ことになったのである



それから





その時その場におけるトランジットを確かめると





秀嶺氏の2室と10室にダブルトランジットが生じ

ラグナ対7室の軸をラーフ・ケートゥがトランジットしていた



単純にラグナにラーフがトランジットすると

心身共に気力が湧いて精神的に自分を乱してみたいと思うようになる



妙に頭が冴えて眠れず

真夜中( 12室 )に外へ出て( ≒10室 )迷走していた時に

細密な即時のダシャーでラグナロードの木星と8室支配の金星に対し

12室で定座しつつ逆行した土星が霊的な神秘を与えたのである



ラーフ・ケートゥのトランジットも含めて

2室に生じたダブルトランジットは土星が減衰することで「非現実な現象」を意味し

マラカのハウスが励起されるため

尋常ではないほどの恐怖を覚える体験( 心霊体験 )だった



しかしそれは月から見た5室と9室のダブルトランジットでもあり

その意味するところは5室9室的な正しい目的だったために

マラカの星座交換が凄まじい光景をもたらしながらもそれは “ 聖なる宣告 ” だった





龍樹(りゅうじゅ、梵: नागार्जुन、Nāgārjuna、テルグ語: నాగార్జునుడు、チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、klu sgrub、タイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナの漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。


「竜樹」こと聖ナーガルジュナは

南インドで仏教を極めた古代の大覚者であり大乗仏教の開祖とされる




その神にも等しい仏道の大士が

秀嶺氏の眼前に降り立ったのである






静寂が戻ってきた夜空の下で

動転し切った秀嶺氏は工事従事者の詰め所に駆け戻り

昏々と眠る八木上人を揺さぶり起こし全てを伝えたが

もちろん取り合ってはもらえなかった





朝になって改めて聖竜樹の言葉の意味を八木上人とともに探る



竜宮城・・・浦島太郎のあの竜宮城ではないだろうがヒンディー語ではどうなるか?



“ 竜 ” は「ナーガ」で “ 宮 ” は「プール」や「バード」が訳語になる



『ナーガ・プール』──ナグプールだ!





ナグプール( ナーグプル )はインド中央のマハーラーシュトラ州に在る



その時に秀嶺氏と八木上人が居たのは東インドのビハール州で

列車で数日はかかるほどの距離になる



インドに土着して30年ほどにもなっていた八木上人が

不意にナグプールについて思い出して秀嶺氏にこう話した



「今から10年くらい前( つまり1956年 )に偉い人が仏教徒になり

続けて数十万人が仏教に改宗して仏教再興運動が起こったと聞いたことがある」



秀嶺氏が思わず「それは誰ですか?」と尋ねても分からないという



汝速やかに南天龍宮城へ行け」というあの竜樹の言葉を偲んで

ナグプールに行かないことなど考えられなかった秀嶺氏は

大きな声で「ナグプールに行きます!」と断言した



するとそれを聞いた温厚な八木上人は

普段からは想像もできないような阿修羅のごとき怒髪天の顔つきになり

「ササイ!行くのか!?これから出発するのか!!?」と

いかめしい様相で秀嶺氏の覚悟のほどを脅して確かめた



上人が激昂するのも無理はない

ナグプールには日本山妙法寺の縁故など皆無で

中途半端な思いで宛もなく旅をすればやがては物乞い同然になる



秀嶺氏は再び腹から声を出して誓った

八木上人!俺は行きます!!今から行きます!!!



すると上人は秀嶺氏を連れてラージギルの霊峰・霊鷲山に登り詰めて

頂上で懐から300ルピーを取り出して

「これが今やれる全てだ」と餞別を氏に恵んだ



そして同時に厳しい戒めをその場で氏に刻み込んだ




一文無しになっても

物乞いだけはするな


もしナグプールの民衆が

誰も寄進をせねば

お前は飢えて死ぬが


八木の言葉を守って死んだなら

骨は俺が拾ってやる


心して行け!






ナヴァムシャでは

7室で木星とコンジャンクトした火星がアスペクトバックするが

ラグナに対しては

7室12室支配の金星が逆行したり土星がアスペクトして

ラグナが多くの象意を受けている



やはり秀嶺氏が外国の地を奔走する運命を暗示するとともに

ラグナにアスペクトする機能的吉星の木星と機能的凶星の土星は

かつての山本貫主や八木上人を指していたようである





ナグプールへと向かう列車乗り場で

八木上人は秀嶺氏に木彫りの仏像を授けて

発車まで手に持った太鼓を打ちながら読経して別れを惜しんでくれた



秀嶺氏の乗り込んだ列車が発車すると

八木上人は手を止めて駆け出し

沸き起こる思いに顔をクシャクシャにしながら

つらかったら帰って来いよ!いつでも帰って来いよ!!」と叫び

今生の別れになるやも知れぬ一時を悲しんだ



秀嶺氏は窓から身体を出して手を振りながら涙してそれに応え

走る列車からホームが見えなくなると

乗り合わせたインド人達が驚くのも気にせず子供のように泣きじゃくった



悟りの道は常に別れと旅立ちから始まるものである



青年僧侶・佐々井秀嶺は

その宿命を解き明かす最後の門出をこうして迎えた




インド仏教再興の地ナグプールへ






ナグプールは1967年当時で100万人を治める都市だったが

首都デリーに比べればもちろん外国人もおらず主要産業もなかった



思っていた以上に駅舎は質素で

気を取り直して秀嶺氏が駅前でデンデコ( 手持ち太鼓 )で読経すると

リキシャー( インドのタクシーに当たる人力車 )の運転手らが集まって来る



「一番大きな仏教の寺に連れて行ってくれ」と頼んだ相手は

貧しい住宅街の並ぶ通りまで走ると

これまた小さな八百屋の前で止まり

八百屋の軒に記された「全インド仏教協会」の英字を指して

そこが目的地であることを氏に促した







こんなに小さな建物がインド全国の仏教徒協会の総本部なのか・・・



建物の奥に向かって「ナマステ!」と大声で挨拶すると

一人の男が出て来て秀嶺氏を出迎えた



普段は長距離列車の車掌を本職とするインド仏教協会事務局長だった



秀嶺氏が仏教僧である身の上を伝えると彼は部屋に招き入れて

肖像画が飾られた狭い一室でどうにか英語やヒンドゥー語で会話した



飾られた画は二つあり一つはお釈迦様なのは当たり前だが

もう一人が誰なのか全く分からなかった







「これは誰ですか?」と正直に訊ねてしまった秀嶺氏

すると事務局長は小さく驚いてムッとしたという



そしてこう答えた



知らないのですか!?

アンベードカル博士ですよ

私は生前の彼に秘書として仕えていました





その正体を知るや後に秀嶺氏は自分の無知を恥じた



※詳しくはアンベードカル博士のラグナ検証(読了の所要時間は約10分)をご参照下さい※